2024年6月23日(第25号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 栗原 豊兄 | |
第2礼拝司会 : | 尾崎 証兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 9番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | マルコの福音書11章20~25節 | |
説教 | 「山をも動かす信仰」牧師 | |
献金 | 270番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「山をも動かす信仰」
牧師 齊藤 耕
主イエスがのろわれた木が、根元から枯れていた。弟子たちには大きな驚きであった。そこで、主イエスは言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。」
確かに、主イエスがそのように命じるのならば、山は海に入る。天地万物を造られた神は全能である。しかし、人が心の中で疑わずに、信じることができるだろうか。О.ハレスビーは、著書『祈りの世界』で、「人は祈る前に疑い、祈りながら疑い、祈った後に疑う。」と言っている。人の心の現実である。
主イエスは弟子たちの心を知っておられる。その上で、このように励まされた。「あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
山を動かす信仰が、求められているのではない。神を信じ、祈ることに招かれている。それは、愛の神が、人の思いを遥かに超えた素晴らしい方法で、祈りに答えてくださることを信頼した祈りである。その祈りの中で、山のように立ちはだかる、人の力ではどうすることもできないことにも、神の力が働いてくださることを知るのである。
この祈りの信仰に立つことは、神に赦された者の特権である。その恵みを覚えて、人がその友を赦すならば、本当に自分が神に愛され赦された者であることを深く心に知ることができるだろう。