Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年6月30日(第26号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :宮崎雅之兄
第2礼拝司会 :梅田典晃兄
奏    楽 :峯 弥生姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
主の祈り週報をご参照ください
賛美*7番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マタイ福音書4章1~11節
説教「キリスト者であること(9)」
愛されている者として副牧師
献金121番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「キリスト者であること(9)」
――愛されている者として――

副牧師 喜多大樹 

ひとりの人が荒野にいる。この方はまことの神、まことの人、私たち人間の光である。恵みとまことに満ちたこの方は天から地へと向かい私たちの間に住まわれた。私たちに「人」の姿を示すために。
           *
 主イエスがさらに荒野を上る前のこと。最も重要な出来事のひとつが別の荒野で起こっている。場所はヨルダン川。ここには洗礼者ヨハネがいた。彼はバプテスマを人々に授けるために荒野の声として叫んでいた。
 ひとり子の神がそこに現れた。そしてこの方は、洗礼者ヨハネを通してその身を水に浸すことを受け入れられた。そこにひとつの声が響く。

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」

 天が裂け、御霊が鳩のようにくだり、父なる神の声は地上に分かち合われた(マタイ3・13-17)。人は新しく生まれるときに聞くべき声がある。水の中から引き出された人は「愛されている者」として生きる永遠の召命を受け取る。初めからもっていたはずの恵みに気付く。永久に変わることのない召命を携えた「まことの人」とは、地上をどう生きるのか。そのことが問われている。
 ひとり子の神は御霊に導かれて「荒野」の道をさらに深く進む。四十日四十夜、その胃袋は食物を絶つ。底なしの渇きがやってくる。喉の内側は干からび、空腹のからだは悲鳴を上げる。その力は完全に弱り果てる。そこに「試みる者」がやってくる。
           *
 荒野は神と出会う場所。同時に、人はここで誘惑とも出会う。静寂のゆえに聞こえてくる声が私たちのうちにある。人の内奥に耳を澄ませる。すると何かが聞こえてくる。この朝、主イエスは「まことの人」がこれらの声とどう生きるのかを示す。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【6月の暗誦聖句】
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6~7節)
【7月の暗誦聖句】
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(ヨハネの手紙第一 5章14節)