Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
Home > 聖日礼拝 > 2024/07/14
2024年7月14日(第28号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :栗原 豊兄
第2礼拝司会 :天野大樹兄
奏    楽 :田中美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*12番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マルコの福音書12章1~12節
説教「ぶどうの収穫を待ち望み」牧師
献金271番b
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「ぶどうの収穫を待ち望み」

牧師 齊藤 耕 

 主イエスの権威を認めず口を閉ざした人たちに、主イエスは、「たとえ」を用いて話し始められた。ご自身がだれであるのか、その権威がどこから来ているのか、彼らがそれを知り悔い改めることを願い。
           *
 ある人がぶどう園を造り、施設を整え、農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時が来たので、ぶどうを受け取るために、しもべたちを遣わした。しかし、農夫たちは期待を裏切り、しもべたちを打ちたたき、また、殺してしまった。主人は辛抱し、別のしもべたちを送ったが、農夫たちは、同じように酷い目に合わせた。これを繰り返したが、結果は同じだった。主人には、もう一人愛する息子がいた。これなら敬ってくれるだろうと送ったが、農夫たちは彼を殺し、ぶどう園の外に投げ捨ててしまった。大きな痛みを負った主人は、どうするだろうか。農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人に与えるだろう。
 ぶどう園の主人は神を表している。ぶどう園はイスラエルの民、収穫は悔い改めて神に立ち返る人々。しもべたちは歴代の預言者。一人息子はキリスト。農夫たちは、主イエスの権威を認めなかった民の指導者たちである。これを聞いた民の指導者たちは、自分たちのことが指摘されていると気づいたので、主イエスを捕えようとした。
 しかし、主イエスは、どのような思いで、この「たとえ」をお語りになられたのだろうか。この後に続く事実は、農夫たちにたとえられた民の指導者たちが殺されたのではない。ご自身が十字架にいのちを捨てて、人々が神に立ち返る道を与えられたのだ。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【7月の暗誦聖句】
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(ヨハネの手紙第一 5章14節)