Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年7月28日(第30号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :阿部潤也兄
第2礼拝司会 :尾崎 証兄
奏    楽 :小室陽子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*66番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マルコの福音書12章13~17節
説教「神のものは神に」牧師
献金332番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「神のものは神に」

牧師 齊藤 耕 

 パリサイ人とヘロデ党の者たちは、主イエスに質問して言った。「カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」これは、主イエスを罠にかけるためだった。つまり、「納めるべき」と言えばローマ皇帝を崇拝しているとユダヤ人の反発を受け、「納めるべきでない」と言えばローマへの反逆罪になる。
 主イエスは、彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」「これは、だれの肖像と銘ですか。」
 彼らは「カエサルのです。」と言った。銀貨には、カエサルの横顔肖像があり、その銘が刻まれていた。カエサルとはローマ皇帝の称号であり、時の皇帝はティベリウスである。
 そこで主イエスは、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と言われた。「返す」という言葉は「納める」とは違い、負い目があるという前提になる。本来の所有者に戻すということ。事実ローマの統治下においてデナリ銀貨を使用していたのだから負い目があり、納税というかたちで返すのは当然であった。また、神のものとは何だろうか。これも神に返さなければならない。
           *
 『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。』(創1:27) すなわち、私たち一人ひとりには、神のかたちが刻まれている。神によって尊く造られた神のものである。私たちは、自らの人生を神のものとして神に返さなければならない。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【7月の暗誦聖句】
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(ヨハネの手紙第一 5章14節)
【8月の暗誦聖句】
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書 3章16節)