2024年8月25日(第34号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 19番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | マルコの福音書12章18~27節 | |
説教 | 「天の御使いのように」牧師 | |
献金 | 298番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「天の御使いのように」
牧師 齊藤 耕
復活を信じないサドカイ人たちが、主イエスに質問した。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』とモーセは記したが、例えば七人の兄弟がいて、長男が子を残さず死に、次男も兄嫁を妻にしたが子を残さず死に、七人とも兄嫁を妻にしたが子を残さず死に、最後にその妻も死んだ場合、復活の時に、その妻はだれの妻になるか。主イエスは、「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、…思い違いをしている」と言われた。「思い違い」という言葉は、「迷う」とも訳される。聖書を読んでも神の力を知ることがなく、その信仰が迷っているのである。「復活」を信じないサドカイ人たちの信仰生活は、目的を知らずに地上をさ迷っているようなものであった。そして、その思いは地上のことだけである。
主イエスはこう教えられた。「死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのよう」になる。つまり、神の御許で、神のかたちに造られた人本来の姿で神に仕える者となる。そこでは、新しい秩序があり、結婚や出産は無用である。むしろ、愛する者との交わりは、地上での関係よりも深く真実なものになる。
そして、こう教えられた。「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』…神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」と。主は今生きておられる。主にあって生かされている私たちも、新しいいのちによって生かされている。やがての復活は、その完成のときである。