2024年9月15日(第37号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 30番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | 詩篇71篇1~24節 | |
説教 | 「あなたの義だけを心に留めて」 | |
牧師 | ||
献金 | 338番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「あなたの義だけを心に留めて」
牧師 齊藤 耕
詩人は老年期を迎えようとしていた。肉体が衰えていく中で、心にも弱さを覚えるようになっていた。主に拠り頼みながらも不安を感じないことはない。「主よ 私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって私を救い、助け出してください。」と祈る。彼は、神である主に望みを置き、若い日から拠り所としていた。むしろ、主が私を母の胎から取り上げ、御腕に抱き続けてくださっていた恵みを思う。そこで、主に信頼する彼は、いつも主を賛美した。彼の口には、主への賛美が満ちている。ですから、「年老いたときも、私を見放さないでください。私の力が衰え果てても、見捨てないでください。」と、祈った。しかし、この言葉には、年老いて衰えた今、必要とされなくなる不安を抱えた心が表れている。神の前に「老いる」とは、何を意味するのだろうか。
*
老いて自分の力を失った詩人は、「神である主よ。 私はあなたの力とともに行きます。あなたの、ただあなたの義だけを心に留めて。」と信仰を表す。若い時には力があり、自分で何でもできると思っていた。自分の力で自分の人生が切り開けると思った。しかし、老いて弱くなったからこそ、神の義だけを心に留めて生きることに導かれた。年を重ねたからこそ、多くの苦難とわざわいからの救いも経験した。そして、主のみわざを証し、主を賛美する。
老いること。それは、主の救いだけに心を留めて、絶えず主を賛美する者にされる祝福への招きではないだろうか。