Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年10月6日(第40号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :阿部潤也兄
第2礼拝司会 :尾崎 証兄
奏    楽 :小澤良子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*19番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マルコの福音書 12章38~44節
説教「レプタ二枚の信仰」牧師
献金291番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「レプタ二枚の信仰」

牧師 齊藤 耕 

 ここに二つの姿を見る。律法学者たちと貧しいやもめの姿である。その信仰は大きくかけ離れていた。
 主イエスは、律法学者たちに気をつけなさいと言われた。彼らは、服装によって敬虔を装い、人々から挨拶されることや、会堂で上席に宴会では上座に座ることを好んだ。また、やもめたちの家を食い物にし、見栄を張って長い祈りをした。彼らの信仰は見せかけによるものだった。このような者たちは、より厳しいさばきを受けるのである。神(みことば)に仕える生き方を求める中で、むしろ試練と誘惑に直面させられるのである。
 場面は変わり、主イエスは献金箱の向い側に座り、人々が金を投げ入れる様子を見ていた。金持ちたちがたくさんのお金を投げ入れていた。そこに貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。レプタは最小単位のお金である。ところが、主イエスは弟子たちを呼んで言われた。「この貧しいやもめは、だれよりも多くの献金をささげた。皆はあり余る中からの献金であるが、この人は乏しい中から、持っているすべてを投げ入れたのだから。」生きる手立てのすべてを主に委ねて、ささげたのである。
 レプタ銅貨二枚は、この人の信仰を表わしていた。彼女にとってはレプタ一枚でも大きな献金である。金額の問題ではなかった。人にいのちを与え、養い、生かしてくださる主への信頼の姿勢が表れていた。主イエスは、ご自分の弟子たちに、このレプタ二枚の信仰を求められた。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【10月の暗誦聖句】
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙第二4章16節)