Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年10月13日(第41号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :梅田典晃兄
奏    楽 :田中美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*142番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書ルカの福音書23章38~43節
説教「今日わたしとともに
   パラダイスにいる」坂野師
献金261番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「今日わたしとともにパラダイスにいる」

協力牧師 坂野慧吉 

 主イエスとともに二人の犯罪人が十字架につけられた。そのうちの一人は主イエスに「自分とおれたちを救え」と悪口を言った。しかし、もう一人は、イエスには罪はないことと、御国に入られることを信じて、「あなたが御国に入られるときには、わたしを思い出してください。」と苦しい息の中から切に願い求めた。どのような人生を送り、なぜ十字架にかけられるようになったかは分からない。しかし、主イエスは「あなたは今日わたしとともにパラダイスにいる。」と約束されたのである。
 パラダイスとは、ペルシャ語から来たことばで、「園、楽園」を意味する。旧約聖書では「エデンの園」など、地上にある美しい園として描かれている。しかし、主イエスがここで言われている「パラダイス」は、死後に行く「天の楽園」を意味している。使徒パウロは、「第三の天にまで引き上げられた。パラダイスに引き上げられた。」(第二コリント12章2~4節)という経験を証ししている。これが「新天新地」を意味しているのかどうかは断定できないが、この犯罪人が「主イエスともにいる」ことが許されたことは確かである。彼はそこに入るために「良い行い」をしたわけではない。十字架の上で成就された「キリストの贖い」のゆえに、神の憐れみによって、「主イエスともに御国に入れられた」のである。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【10月の暗誦聖句】
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙第二4章16節)