2024年10月13日(第41号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 梅田典晃兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 142番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | ルカの福音書23章38~43節 | |
説教 | 「今日わたしとともに | |
パラダイスにいる」坂野師 | ||
献金 | 261番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「今日わたしとともにパラダイスにいる」
協力牧師 坂野慧吉
主イエスとともに二人の犯罪人が十字架につけられた。そのうちの一人は主イエスに「自分とおれたちを救え」と悪口を言った。しかし、もう一人は、イエスには罪はないことと、御国に入られることを信じて、「あなたが御国に入られるときには、わたしを思い出してください。」と苦しい息の中から切に願い求めた。どのような人生を送り、なぜ十字架にかけられるようになったかは分からない。しかし、主イエスは「あなたは今日わたしとともにパラダイスにいる。」と約束されたのである。パラダイスとは、ペルシャ語から来たことばで、「園、楽園」を意味する。旧約聖書では「エデンの園」など、地上にある美しい園として描かれている。しかし、主イエスがここで言われている「パラダイス」は、死後に行く「天の楽園」を意味している。使徒パウロは、「第三の天にまで引き上げられた。パラダイスに引き上げられた。」(第二コリント12章2~4節)という経験を証ししている。これが「新天新地」を意味しているのかどうかは断定できないが、この犯罪人が「主イエスともにいる」ことが許されたことは確かである。彼はそこに入るために「良い行い」をしたわけではない。十字架の上で成就された「キリストの贖い」のゆえに、神の憐れみによって、「主イエスともに御国に入れられた」のである。