2024年12月29日(第52号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 栗原 豊兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 66番 | |
牧会祈祷 | 牧師 | |
賛美* | 313番 | |
聖書 | コリント人への手紙第二 | |
4章16~18節 | ||
説教 | 「見えないものに目を留め」牧師 | |
献金 | 355番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「見えないものに目を留め」
牧師 齊藤 耕
今年、神に愛された人を天に送った。彼女は最期まで主に礼拝をささげることを切望していた。病院ではお世話になった看護師さんに福音を伝えたいと願い、みことばを書き送った。みことばにこそ力があり、その人を救いに導くと確信していたからだ。彼女は衰えていく自分の弱さを認めながら、むしろ、信仰は強められていた。「霊は最後まで成長する」なぜ霊は成長するのだろう。使徒パウロは、『私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらす…』と述べている。パウロほどキリスト宣教に従事する中で、多くの苦しみを通された人はいないだろう。しかし、彼はかの日にもたらされる永遠の栄光が、あまりにも重みのあるものなので、そこを見据える時に、今の苦難を一時の軽いものと受け止められた。どれほどの重い永遠の栄光が、パウロの目には見えていたのだろうか。
それは、肉眼によって見えるものではない。信仰によって、霊的に開かれた心で見ているものである。パウロは、見えるものにではなく、見えないものに目を留めていた。肉眼に見えるものは一時的であり、見えないものにこそ永遠に続くものがあるからだ。
人は衰え行き、目も霞むようになる中で、信仰によって心に映る永遠の栄光に目を注ぐことができるようになるのだと思う。