Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年12月29日(第52号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :栗原 豊兄
第2礼拝司会 :黒羽 徹兄
奏    楽 :風間美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*66番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書コリント人への手紙第二
      4章16~18節
説教「見えないものに目を留め」牧師
献金355番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「見えないものに目を留め」

牧師 齊藤 耕 

 今年、神に愛された人を天に送った。彼女は最期まで主に礼拝をささげることを切望していた。病院ではお世話になった看護師さんに福音を伝えたいと願い、みことばを書き送った。みことばにこそ力があり、その人を救いに導くと確信していたからだ。彼女は衰えていく自分の弱さを認めながら、むしろ、信仰は強められていた。「霊は最後まで成長する」
 なぜ霊は成長するのだろう。使徒パウロは、『私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらす…』と述べている。パウロほどキリスト宣教に従事する中で、多くの苦しみを通された人はいないだろう。しかし、彼はかの日にもたらされる永遠の栄光が、あまりにも重みのあるものなので、そこを見据える時に、今の苦難を一時の軽いものと受け止められた。どれほどの重い永遠の栄光が、パウロの目には見えていたのだろうか。
 それは、肉眼によって見えるものではない。信仰によって、霊的に開かれた心で見ているものである。パウロは、見えるものにではなく、見えないものに目を留めていた。肉眼に見えるものは一時的であり、見えないものにこそ永遠に続くものがあるからだ。
 人は衰え行き、目も霞むようになる中で、信仰によって心に映る永遠の栄光に目を注ぐことができるようになるのだと思う。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【12月の暗誦聖句】
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目をめます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠えいえんに続くからです。
(コリント人への手紙第二4章18節)
【1月の暗誦聖句】
新しい歌を主に歌え。全地よ 主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと 御救いの良い知らせを告げよ。
(詩篇96篇1~2節)