Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年1月5日(第1号)
新年礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :天野大樹兄
奏    楽 :小澤良子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*7番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書マルコの福音書13章33~37節
説教「目を覚ましていなさい」牧師
献金174番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「目を覚ましていなさい」

牧師 齊藤 耕 

 主イエスは、終わりの日(主の再臨の時)に備えて「目を覚ましていなさい」と言われた。
 第一に、神への信頼に生きるためである。主の再臨に先立つ出来事は教えられた。世においては苦難があり、偽キリストが現れる。しかし、その日がいつなのかは知らされていない。主イエスご自身も、その日を知らないと言われる。なぜ、主イエスご自身さえ、その日を知らないのだろうか。私たちは、主イエスと心を一つにして、その日を待ち望みたい。
 第二に、神の召しに生きるためである。主イエスは、旅人が家を離れ、再び帰って来る譬えを話した。旅人は、しもべたちそれぞれに仕事を与え、その働きを果たすために「責任」を与えられた。これは、十二使徒が召された時に与えられた「権威」と同じことばである。私たちは、地上に生かされている間、主から召しを受け、権威を与えられて、それぞれの生きる場に遣わされている。
 第三に、いつも主とともに生きるようになるためである。旅人である家の主人は、いつ帰って来るのか分からない。むしろ、突然のように帰って来る。だから、いつも目を覚ましていなければならない。これは霊的な戦いである。私たちは、弱い肉において霊的な戦いをしている。そこには、心身の休息と主の安息が必要である。私たちのために、十字架にかかり死んでくださった主イエス・キリストに寄り頼み、とどまり続けることこそが、霊的に目を覚まし続けていることである。
 『主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。』(Ⅰテサロニケ5:10)

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【1月の暗誦聖句】
新しい歌を主に歌え。全地よ 主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと 御救いの良い知らせを告げよ。
(詩篇96篇1~2節)