2025年1月5日(第1号) | ||
新年礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 天野大樹兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 7番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | マルコの福音書13章33~37節 | |
説教 | 「目を覚ましていなさい」牧師 | |
献金 | 174番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「目を覚ましていなさい」
牧師 齊藤 耕
主イエスは、終わりの日(主の再臨の時)に備えて「目を覚ましていなさい」と言われた。第一に、神への信頼に生きるためである。主の再臨に先立つ出来事は教えられた。世においては苦難があり、偽キリストが現れる。しかし、その日がいつなのかは知らされていない。主イエスご自身も、その日を知らないと言われる。なぜ、主イエスご自身さえ、その日を知らないのだろうか。私たちは、主イエスと心を一つにして、その日を待ち望みたい。
第二に、神の召しに生きるためである。主イエスは、旅人が家を離れ、再び帰って来る譬えを話した。旅人は、しもべたちそれぞれに仕事を与え、その働きを果たすために「責任」を与えられた。これは、十二使徒が召された時に与えられた「権威」と同じことばである。私たちは、地上に生かされている間、主から召しを受け、権威を与えられて、それぞれの生きる場に遣わされている。
第三に、いつも主とともに生きるようになるためである。旅人である家の主人は、いつ帰って来るのか分からない。むしろ、突然のように帰って来る。だから、いつも目を覚ましていなければならない。これは霊的な戦いである。私たちは、弱い肉において霊的な戦いをしている。そこには、心身の休息と主の安息が必要である。私たちのために、十字架にかかり死んでくださった主イエス・キリストに寄り頼み、とどまり続けることこそが、霊的に目を覚まし続けていることである。
『主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。』(Ⅰテサロニケ5:10)