2025年1月19日(第3号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 阿部潤也兄 | |
第2礼拝司会 : | 尾崎 証兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 136番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | マタイの福音書27章45~56節 | |
説教 | 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 | |
坂野師 | ||
献金 | 138番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
協力牧師 坂野慧吉
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。このことばは、旧約聖書詩篇22篇の冒頭にあることばである。主イエスは、「メシア詩篇」と言われるこの詩篇を意識していたと思われる。三位一体の神は、ご自身のかたちに人を創造した。しかし、人は神のことばに逆らって罪を犯し、神から引き裂かれた。神ご自身にとって、人間が神に逆らい、悪魔のことばに従ったことは、この上もない大きな衝撃であった。しかし、神は人を救うご計画を実行された。神のひとり子を人としてこの世に送り、このひとり子の上に人のすべての罪を負わせ、このお方を裁くことによって、人の罪を解決されたのである。
神は「全能の神」であるから、神の御子を十字架にかけなくても、人の罪を赦すことができたと考える人もいる。しかし、「神の義」は人の罪を罰せずにはおかれない。また「神の愛」は人の罪を赦すために行動する。この神のご性質を満たすには、神の御子が人の罪を負って、「罪の報酬」を支払うために十字架で死ぬ以外に道はなかったのである。
主イエスの叫びは、父なる神の深い奥義に触れる叫びであった。主イエスの叫びに対して、父なる神は、沈黙された。しかし、主イエスは最後に「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます。」と大声で叫んで息を引き取られた。