Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年1月19日(第3号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :阿部潤也兄
第2礼拝司会 :尾崎 証兄
奏    楽 :神野真理姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*136番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書マタイの福音書27章45~56節
説教「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
坂野師
献金138番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

協力牧師 坂野慧吉 

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。このことばは、旧約聖書詩篇22篇の冒頭にあることばである。主イエスは、「メシア詩篇」と言われるこの詩篇を意識していたと思われる。
 三位一体の神は、ご自身のかたちに人を創造した。しかし、人は神のことばに逆らって罪を犯し、神から引き裂かれた。神ご自身にとって、人間が神に逆らい、悪魔のことばに従ったことは、この上もない大きな衝撃であった。しかし、神は人を救うご計画を実行された。神のひとり子を人としてこの世に送り、このひとり子の上に人のすべての罪を負わせ、このお方を裁くことによって、人の罪を解決されたのである。
 神は「全能の神」であるから、神の御子を十字架にかけなくても、人の罪を赦すことができたと考える人もいる。しかし、「神の義」は人の罪を罰せずにはおかれない。また「神の愛」は人の罪を赦すために行動する。この神のご性質を満たすには、神の御子が人の罪を負って、「罪の報酬」を支払うために十字架で死ぬ以外に道はなかったのである。
 主イエスの叫びは、父なる神の深い奥義に触れる叫びであった。主イエスの叫びに対して、父なる神は、沈黙された。しかし、主イエスは最後に「父よ。わたしの霊を御手にゆだねます。」と大声で叫んで息を引き取られた。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【1月の暗誦聖句】
新しい歌を主に歌え。全地よ 主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと 御救いの良い知らせを告げよ。
(詩篇96篇1~2節)