2025年3月9日(第10号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 62番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | マルコの福音書14章32~42節 | |
説教 | 「ゲッセマネの祈り」牧師 | |
献金 | 133番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「ゲッセマネの祈り」
牧師 齊藤 耕
ゲッセマネの園は、エルサレムの東ケデロンの谷を越えたオリーブ山の麓にあり、祈りの場として度々主イエスと弟子たちが訪れていた所である。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」主イエスは、弟子たちがこの祈りの場に、ただ身を置くことを願われた。そして、ペテロとヤコブとヨハネを連れて行った。その時、主は深く悩みもだえ、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」と言われた。十字架に向かう主イエスは、何を感じておられたのか。これまで、弟子たちに何度もご自身の受ける苦難を予告されてきた。十字架の死を覚悟して、今ここにある。私たちは、「悲しみのあまり死ぬほど」と言われる主イエスの御思いを知ることができるだろうか。
それから、更に進み、地にひれ伏して祈られた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」と言われた。 主イエスにおいてさえ、この死ぬほどの悲しみは、取り去って欲しいものであった。杯は苦しみである。しかし、主はご自分の思いを優先されず、父が望むことに、その身をゆだねられた。そして、深い平安のうちに祈りを閉じられたことだろう。