2025年3月16日(第11号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
第2礼拝司会 : | 天野大樹兄 | |
奏 楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
主の祈り | 週報をご参照ください | |
賛美* | 66番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | 使徒の働き3章1~10節 | |
説教 | キリスト者であること (12) | |
――イエスの御名を歩く人――喜多師 | ||
献金 | 121番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「キリスト者であること(12)」
――イエスの御名を歩く人――
副牧師 喜多大樹
ふたりのキリスト者が歩いている。時刻は午後3時。彼らは主の宮を訪れていた。かつてティベリアの湖畔で「わたしを愛するか」と三度問われたその人は、この日、ひとつの声を聞こうとしている。*
「美しの門」と呼ばれる場所にその声は響いた。それは施しを求める声であった。助けを求める声であり「あなたは何をくれるのか」という声である。
ふたりに呼びかけたその人は、生まれつき足の不自由な人であった。ペテロとヨハネが宮を進もうとしているところに、ちょうど彼も運ばれてきたのである。そしておそらくいつもの場所で、いつも通り、いつもの施しを求めるために彼は声を上げ始めたのだった。この出来事はふたりにとって「いつも通り」とはならなかった。彼らは立ち止まり、自分たちに呼びかけるその人を見て、そして言った。
「私たちを見なさい」
その人は嬉々としてふたりを見つめたことだろう。目を注ぎ「一体、彼らは私に何をくれるのだろうか」と期待を膨らませて彼らを覗き込んだのであろう。しかし、ペテロは答えた。金や銀は私にはない、と。すなわちこれは、あなたが期待しているようなものを、私はあなたに差し出すことはできないということだ。その上で、イエスの友はこうも言う。「私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」
*
私たちのうちには何があるのだろうか。私たちがいつも何かを人に求めているように、人もまた私たちに何かを要求している。その時に、一体、私たちは何を人々に差し出せるのだろう、と思う。
この朝、私たちは最後に「イエスの御名を歩く」ということの意味を問う。