Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年3月16日(第11号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :宮崎雅之兄
第2礼拝司会 :天野大樹兄
奏    楽 :臼倉ゆり子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
主の祈り週報をご参照ください
賛美*66番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書使徒の働き3章1~10節
説教キリスト者であること (12)
――イエスの御名を歩く人――喜多師
献金121番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「キリスト者であること(12)」
――イエスの御名を歩く人――

副牧師 喜多大樹 

 ふたりのキリスト者が歩いている。時刻は午後3時。彼らは主の宮を訪れていた。かつてティベリアの湖畔で「わたしを愛するか」と三度問われたその人は、この日、ひとつの声を聞こうとしている。
           *
 「美しの門」と呼ばれる場所にその声は響いた。それは施しを求める声であった。助けを求める声であり「あなたは何をくれるのか」という声である。
 ふたりに呼びかけたその人は、生まれつき足の不自由な人であった。ペテロとヨハネが宮を進もうとしているところに、ちょうど彼も運ばれてきたのである。そしておそらくいつもの場所で、いつも通り、いつもの施しを求めるために彼は声を上げ始めたのだった。この出来事はふたりにとって「いつも通り」とはならなかった。彼らは立ち止まり、自分たちに呼びかけるその人を見て、そして言った。
      「私たちを見なさい
 その人は嬉々としてふたりを見つめたことだろう。目を注ぎ「一体、彼らは私に何をくれるのだろうか」と期待を膨らませて彼らを覗き込んだのであろう。しかし、ペテロは答えた。金や銀は私にはない、と。すなわちこれは、あなたが期待しているようなものを、私はあなたに差し出すことはできないということだ。その上で、イエスの友はこうも言う。「私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい
           *
 私たちのうちには何があるのだろうか。私たちがいつも何かを人に求めているように、人もまた私たちに何かを要求している。その時に、一体、私たちは何を人々に差し出せるのだろう、と思う。
 この朝、私たちは最後に「イエスの御名を歩く」ということの意味を問う。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【3月の暗誦聖句】
そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
(マルコの福音書 14章36節)