| 2025年10月5日(第40号) | ||
| 聖日礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 栗原 豊 兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 天野大樹 兄 | |
| 奏 楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
| 賛美* | 30番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 310番 | |
| 聖書 | エペソ人への手紙1章7~10節 | |
| 説教 | 「神の豊かな恵み」牧師 | |
| 献金 | 257番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 報告 | ||
| 後奏 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「神の豊かな恵み」
牧師 齊藤 耕
教会は、神の赦しをともに喜ぶ共同体です。その恵みを分かち合い、ともに神をほめたたえるのです。*
『このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。』
私たちは、生まれながらにして罪人であり、神の怒りのもとにありました。しかし、神はその愛する独り子キリストを、私たちの罪の身代わりとして、十字架の死にお与えになりました。私たちは、キリストの血(ささげられたいのち)によって罪の赦しを受けています。これは、神の一方的な恵みによることです。
神は、この豊かな恵みを私たちの上にあふれさせ、その奥義を知らせてくださいました。天にあるもの地にあるもの、すべてのものが、キリストにあって、一つに集められることです。キリストの教会です。
教会は、この救いの恵みをともに喜ぶ共同体です。赦されていることの恵みを互いに分かち合うために集められました。しかし、近しい関係であるために、互いを傷つけ合うこともしばしばです。私たちを傷つけるのは、私たちが愛している人々だからです。家族であり、友であり、兄姉であり、牧師かもしれません。それは人生の悲劇です…。
しかし、キリストにあって、私たちは赦されている恵みを知っています。キリストの打ち傷のゆえに、私たちは癒されました。そして、赦し(祝福)を与える存在として召されています。