| 2025年10月26日(第43号) | ||
| 召天者記念礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 栗原仰基兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 坂井邦雄兄 | |
| 奏 楽 : | 神野真理姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 主の祈り | 週報をご参照ください | |
| 賛美* | 312番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 310番 | |
| 聖書 | へブル人への手紙 12章1~3節 | |
| 説教 | 「十字架を見上げて」牧師 | |
| 献金 | 355番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 報告 | ||
| 後奏 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「十字架を見上げて」
牧師 齊藤 耕
年をとるにつれ、私たちが思い起こす、先に亡くなった人の数は増えていく。だんだん地上での人とのかかわりよりも、天を見上げて思い起こすことが心地よくなっていくような気がする。その思い出は、心に温かい慰めを与え、ときに私たちの生活の中で、大切な示唆や勇気さえ与えてくれるのだ。*
この聖書のことばは、旧約聖書の時代からの多くの信仰の先輩たちが、雲のように私たちを取り巻いていることに思いを向けさせる。なぜ、彼らは信仰に生きることができたのだろうか。何を見据えて、その人生を走り抜いたのか。
そして、私たちに、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」と語りかける。ここに人生の目的がありゴールがある。そして、主イエスご自身の生き方、又、死に方こそ、私たちの人生の素晴らしい模範であるから。
*
今、改めて、主イエスの「十字架を見上げて」、この方のことを考えなさいと、私たちの心に語りかける声を聴く。主イエスは、なぜ十字架の死を選ばれたのだろうか。どのような思いで、その苦しみを耐え忍ばれたのだろうか。
十字架を見上げて生きるならば、私たちは、疲れ果ててしまうことがなく、人生を走り抜くことができるだろう。そして、走り抜いた私たちを、主イエスは確かに受け止めてくださるのである。