Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年10月26日(第43号)
召天者記念礼拝
第1礼拝司会 :栗原仰基兄
第2礼拝司会 :坂井邦雄兄
奏    楽 :神野真理姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
主の祈り週報をご参照ください
賛美*312番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書へブル人への手紙 12章1~3節
説教「十字架を見上げて」牧師
献金355番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「十字架を見上げて」

牧師 齊藤 耕 

 年をとるにつれ、私たちが思い起こす、先に亡くなった人の数は増えていく。だんだん地上での人とのかかわりよりも、天を見上げて思い起こすことが心地よくなっていくような気がする。その思い出は、心に温かい慰めを与え、ときに私たちの生活の中で、大切な示唆や勇気さえ与えてくれるのだ。
           *
 この聖書のことばは、旧約聖書の時代からの多くの信仰の先輩たちが、雲のように私たちを取り巻いていることに思いを向けさせる。なぜ、彼らは信仰に生きることができたのだろうか。何を見据えて、その人生を走り抜いたのか。
 そして、私たちに、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」と語りかける。ここに人生の目的がありゴールがある。そして、主イエスご自身の生き方、又、死に方こそ、私たちの人生の素晴らしい模範であるから。
           *
 今、改めて、主イエスの「十字架を見上げて」、この方のことを考えなさいと、私たちの心に語りかける声を聴く。主イエスは、なぜ十字架の死を選ばれたのだろうか。どのような思いで、その苦しみを耐え忍ばれたのだろうか。
 十字架を見上げて生きるならば、私たちは、疲れ果ててしまうことがなく、人生を走り抜くことができるだろう。そして、走り抜いた私たちを、主イエスは確かに受け止めてくださるのである。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【10月の暗誦聖句】
このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。(エペソ人への手紙1章7節)
【11月の暗誦聖句】
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。(エペソ人への手紙1章23節)